ヤマザキマリは再婚?14歳年下イタリア人夫との馴れ初め
漫画『テルマエ・ロマエ』の作者として世界的に知られ、その鋭い感性とユーモアあふれるエッセイでも人気を博しているヤマザキマリさん。
ヤマザキマリさんの私生活は、その作品以上にドラマチックともいわれています。
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特に注目されるのが、現在の夫との結婚です。
なおヤマザキマリさんは再婚という噂がありますが、結婚歴はどうなっているのでしょうか。

ここでは、ヤマザキマリさんが再婚といわれる理由や、結婚の真実、馴れ初めについて詳しく紐解いていきます。
「再婚」と言われる理由は?元パートナー(詩人)との11年間の事実婚
まず、ヤマザキマリさんが「再婚」と言われる理由についてですが、厳密に言えば、現在のイタリア人夫との結婚はヤマザキマリさんにとって法的な意味での「初婚」にあたります。
ではなぜ再婚という言葉がついて回るのかというと、ヤマザキマリさんには過去に長期間にわたって事実婚状態にあったパートナーがいたからです。
ヤマザキマリさんが17歳でイタリアに留学し、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で学んでいた頃、ヤマザキマリさんは学生アパートの隣室に住むイタリア人の男性と恋に落ちました。
その男性は自称「詩人」で、二人はなんと11年間もの長きにわたって同棲生活を送っていました。

20歳代の頃のヤマザキマリ【出典:ほんのひとときnote】
事実婚とも言えるこの関係の中で、ヤマザキマリさんは妊娠し、息子さんを授かっています。
しかし、この詩人のパートナーには経済的な生活力が乏しく、商売に失敗しては借金を作るなど、金銭面でのトラブルが絶えませんでした。
出産を目前に控え、ヤマザキマリさんは子供を守るためにその男性との別れを決意します。
結婚届を提出することなく関係を解消し、日本に帰国してシングルマザーとして出産したため、戸籍上は未婚の母となりました。
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つまり、世間一般には「前の夫との間に子供がいる」と認識されがちですが、法的には一度も結婚していなかったため、現在の夫との結婚が初婚となるのです。

この経緯が、「再婚」といわれる理由なのでしょうね。
現在の夫は比較文学者のベッピ・キュッパーニ氏!14歳差の国際結婚
ヤマザキマリさんが35歳の時に結婚した相手は、イタリア人のベッピ・キュッパーニさんです。
ベッピさんはヤマザキマリさんよりも14歳年下で、結婚当時はまだ21歳という若さでした。
夫のベッピさんは、単なる年下のイタリア人男性というだけでなく、非常に優秀な学者でもあります。

ヤマザキマリの夫【出典:ヤマザキマリの世界】
専門は比較文学で、過去にはアメリカのシカゴ大学で研究を行っていたこともあるインテリです。
また、作家としても活動しており、日本の戦国時代を舞台にした歴史小説『救い』を執筆するなど、日本文化や歴史に対する造詣も深い人物です。

ヤマザキマリの夫の小説『救い』【出典:amazon】
古代ローマの歴史や文化に精通しているヤマザキマリさんと、日本の歴史や文学を研究するベッピさん。

お互いの国の文化を深く理解し、リスペクトし合う二人の関係は、年齢差や国籍の違いを超えた絆で結ばれていますね。
夫のベッピさんは、ヤマザキマリさんの創作活動における最大の理解者で、ベッピさんの豊富な知識とオタク気質な一面がなければ、あの大ヒット作『テルマエ・ロマエ』は生まれなかったかもしれません。
14歳という年齢差を感じさせない、精神的に対等で刺激し合えるパートナーシップは、多くの人にとって理想的な夫婦の形の一つと言えるでしょう。
運命的すぎる馴れ初め!出会いは14歳の時、夫の祖父がキューピッド
ヤマザキマリさんと夫ベッピ・キュッパーニさんの馴れ初めは、運命的なものです。
二人の出会いのきっかけを作ったのは、なんとベッピさんの祖父である陶芸家のマルコさんでした。
馴れ初めの最初は、ヤマザキマリさんが14歳の時にさかのぼります。
当時、ヤマザキマリさんは母親の勧めでヨーロッパを一人旅していました。
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その旅の途中、イタリアへ向かう列車の中で出会ったのが、マルコさんでした。
マルコさんは、14歳の少女が一人で旅をしていることを心配しつつも、芸術のために旅をしているというヤマザキマリさんの情熱に感銘を受け、「すべての道はローマに通ずる。イタリアを見ずに芸術を語るな」と説きました。
この出会いがきっかけで、ヤマザキマリさんは17歳で高校を中退し、マルコさんを頼ってイタリアへ留学することになるのです。
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マルコ(左)とヤマザキマリの母親(中央)【出典:婦人公論】
留学中、マルコさんの孫である幼いベッピさんとも顔を合わせていましたが、当時はあくまで「マルコさんの孫」という認識でした。
時が流れ、ヤマザキマリさんが一度日本に帰国し、シングルマザーとして奮闘していた頃、再びイタリアを訪れる機会がありました。
そこで再会したのが、大人に成長したベッピさんでした。
かつての子供だったベッピさんは青年に成長しており、二人は古代ローマや文学の話で意気投合しました。
しかし、ヤマザキマリさんは日本に帰った後、ベッピさんはショックのあまり「心筋炎」を患ってしまったといいます。
そして、「君が帰ってしまって寂しくて病気になった、結婚してくれ」という、命がけのプロポーズを電話で伝えてきたのです。
このあまりに情熱的な求愛に、ヤマザキマリさんも心を動かされました。
さらに、ヤマザキマリさんの背中を押したのは母・リョウコさんの一言でした。
ベッピさんの病気のことを知った母は、「そこまで想ってくれる人はいない」と結婚に賛成し、「だめだったら別れればいいのよ」と豪快に言い放ったのです。

この言葉で、ヤマザキマリさんは、エジプトのイタリア大使館で挙式を行い、二人は夫婦となりました。
ヤマザキマリの夫は現在何してる?別居婚スタイルの夫婦生活
ヤマザキマリさんと夫のベッピ・キュッパーニさんは、結婚当初から一般的な夫婦とは少し異なる、独自のライフスタイルを築いてきました。
お互いに研究や創作活動で世界を飛び回る生活を送っており、必ずしも常に一緒にいるわけではありません。
現在、夫のベッピさんはどのような活動をしているのでしょうか。
そして、独特な「別居婚」スタイルとは?
夫の職業は学者で作家!シカゴ大学での研究歴や著書も
現在、夫のベッピ・キュッパーニさんは、イタリアを拠点に比較文学の研究者として、また作家として活動しています。
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ヤマザキマリ(中央)と夫(右)【出典:ヤマザキマリ公式サイト】
過去にはアメリカの名門・シカゴ大学で研究員として教鞭をとっていたこともあります。
なお、その時期、ヤマザキマリさんも家族と共にシカゴへ移住し、数年間をアメリカで過ごしました。

この時の体験は、ヤマザキマリさんのエッセイ『Sweet Home Chicago』などで詳しく描かれています。
ベッピさんは学者としての活動だけでなく、小説の執筆にも力を入れています。
特に日本の歴史に強い関心を持っており、戦国時代のキリシタン大名をテーマにした小説などを発表しています。
コロナ禍で1年8ヶ月の別居も「夫婦に距離は関係ない」独自の絆
ヤマザキマリさん夫婦は、仕事の都合などで離れて暮らすことも珍しくありませんが、特に新型コロナウイルスのパンデミックに際しては、長期間の別居生活を余儀なくされました。
国境の封鎖や移動制限により、日本とイタリアを行き来することができなくなり、約1年8ヶ月もの間、物理的に会えない状態が続いたのです。
しかし、ヤマザキマリさんはメディアのインタビューで、「夫婦であることと物理的距離は私にはあまり関係がない」と語っています。
これは決して強がりではなく、お互いの精神的な結びつきや信頼関係が強固であるからこその言葉でしょう。
毎日顔を合わせていなくても、ビデオ通話やメッセージでコミュニケーションを取り合うことは可能です。

むしろ、物理的な距離があることで、相手をより尊重し、自分の時間も大切にできるというメリットもあるのかもしれませんね。
『テルマエ・ロマエ』誕生のきっかけは「古代ローマオタク」の夫
ヤマザキマリさんの代表作『テルマエ・ロマエ』の大ヒットは、夫ベッピさんの存在なくしてはあり得ませんでした。
ベッピさんは自他共に認める「筋金入りの古代ローマオタク」であり、歴代ローマ皇帝の名前や功績をすべて暗記しているほどの知識を持っています。
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二人の日常会話には、当然のように古代ローマの話題が登場します。
現代の政治や社会問題を語る際にも、「カエサルの時代ならこうだった」「ハドリアヌス帝ならこう考えただろう」といった具合に、古代ローマを引き合いに出して議論が交わされるそうです。
こうした夫との会話の積み重ねが、ヤマザキマリさんの脳内に古代ローマの世界をリアルに構築させ、あのユニークな漫画の発想へと繋がりました。

主人公ルシウスの生真面目さや、古代ローマ人の誇り高い精神性は、まさに夫ベッピさんの性格や言動がモデルになっている部分もあるのかもしれませんね。
ヤマザキマリの息子・デルスの父親は誰?複雑な家族関係
ヤマザキマリさんには、一人息子のデルスさんがいます。
現在の夫であるベッピさんとも仲の良い親子関係を築いていますが、実はデルスさんの実の父親はベッピさんではありません。

ヤマザキマリと息子・デルス【出典:CREA】
デルスさんは、ヤマザキマリさんがベッピさんと結婚する前に、イタリアで出産したお子さんです。
では、デルスさんの父親は一体誰なのでしょうか。
息子の父親はイタリア人の詩人!借金で結婚しなかった過去
デルスさんの父親は、前述したヤマザキマリさんの元パートナーであるイタリア人の詩人です。
二人はフィレンツェで11年間同棲していましたが、パートナーには生活力がなく、経済的に非常に不安定な状態でした。

骨董品の商売を始めたり画廊を開いたりと様々なことに手を出しては失敗し、多額の借金を作ってしまったといいます。
そんな状況の中でヤマザキマリさんの妊娠が発覚しました。
子供を授かったことは喜びでしたが、借金まみれのパートナーと結婚して子供を育てることは、共倒れになるリスクが高すぎるとヤマザキマリさんは判断しました。
子供を守り、育て上げていくためには、パートナーとの関係を断ち切るしかないと決意したヤマザキマリさんは、妊娠中に別れを選び、結婚することなく日本へ帰国しました。
シングルマザーとして出産・育児、生活費のために漫画家デビュー
日本に帰国したヤマザキマリさんは、実家のある北海道でデルスさんを出産しました。

ヤマザキマリと息子【出典:文春オンライン】
未婚のシングルマザーとしての生活は壮絶なもので、生活費を稼ぐために、ヤマザキマリさんはイタリア語の講師、テレビのリポーター、ラジオのパーソナリティなど、ありとあらゆる仕事を掛け持ちして働きました。
その中で、新たな収入源として始めたのが「漫画」でした。
もともと絵を描くことは得意でしたが、漫画家を目指していたわけではありませんでした。
しかし、自身のイタリアでの破天荒な暮らしをエッセイ漫画として描いたところ、それが編集者の目に留まりデビューすることになります。
当初はあくまで「生活費を稼ぐため」などといった切実な動機で描き始めた漫画でしたが、そのリアルでユーモラスな作風は徐々に読者の心を掴んでいきました。

息子がいなければ、漫画家ヤマザキマリは誕生していなかったのかもしれません
現在の夫と息子の関係は良好?養子縁組やビザ取得時のエピソード
その後、ヤマザキマリさんは現在の夫であるベッピさんと出会い、結婚します。
この時、息子のデルスさんはまだ幼い子供でした。

ヤマザキマリと息子【出典:文春オンライン】
血の繋がりはありませんが、ベッピさんはデルスさんを実の子のように可愛がり、デルスさんもまたベッピさんに懐いていきました。
ヤマザキマリさんが結婚を決めた理由の一つにも、「息子が彼に懐いていたこと」があったそうです。
二人の関係は非常に良好で、デルスさんはベッピさんのことを父親として、また一人の尊敬できる人間として慕っています。
しかし、法的な手続きにおいては、実の父親の存在が関わってくることもありました。
例えば、夫の仕事の都合で家族でアメリカのシカゴへ移住する際、デルスさんのビザを取得するために、ハーグ条約に基づいて「実の父親の承諾書」が必要になったのです。
ヤマザキマリさんはこの書類を入手するために奔走したと語っています。
こうしたエピソードからは、苦労や複雑さも垣間見えますが、それを乗り越えてきたからこそ、現在の家族の強い絆があるのでしょう。

なお現在、デルスさんはハワイ大学を卒業し、フリーのカメラマンやクリエイターとして自立しています
ヤマザキマリの母・リョウコの生き様が凄い!指揮者の父との死別と再婚
ヤマザキマリさんのパワフルで自由な生き方のルーツを探ると、そこにはヤマザキマリさんの母であるリョウコさんの存在が大きく関わっています。
リョウコさんもまた、常識にとらわれず自分の道を切り拓いてきた規格外の女性でした。
音楽家として、母として、そして一人の女性として、波乱万丈な人生を歩んだヤマザキマリさんの母・リョウコさんを紹介します。
母は札幌交響楽団のヴィオラ奏者!勘当同然で北海道へ渡った情熱
ヤマザキマリさんの母、リョウコさんは、札幌交響楽団のヴィオラ奏者でした。
リョウコさんは神奈川県の出身でしたが、新設される札幌交響楽団に入団することを決意したため、実家からは猛反対を受け、勘当同然の形で家を飛び出し、単身北海道へと渡ったのです。

ヤマザキマリの母親【出典:PRESIDENTWOMAN】
見知らぬ土地で、女性が一人で生きていくことすら大変だった時代に、音楽家として自立する道を選んだリョウコさんの行動力と決断力は凄まじいものがあります。

14歳でヨーロッパ一人旅をさせたり、17歳でイタリア留学を勧めたりといったヤマザキマリさんの経歴も、母リョウコさんの「まずは何でもやってみる」という教育方針があったからこそ実現したものでしょう。
実父(指揮者)とは死別、再婚相手とは離婚という波乱万丈な人生
北海道に渡ったリョウコさんは、そこで指揮者をしていた男性と出会い、結婚します。
その男性こそが、ヤマザキマリさんの実の父親です。
しかし、幸せな生活は長くは続かず、ヤマザキさんが生まれて間もなく、実父は病気のため急逝してしまったのです。
若くして未亡人となり、シングルマザーとして娘を育てることになったリョウコさんですが、その後、海外駐在の設計技師と再婚をします。
この再婚相手との間には、ヤマザキマリさんの妹となる次女が誕生しましたが、夫は海外赴任が多く、ほとんど別居状態の結婚生活だったといいます。
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結局、この結婚生活も長くは続かず、2年ほどで離婚することになりました。

二度の結婚と別れ(死別と離婚)を経験し、二人の娘を抱えるシングルマザーとなったリョウコさんですが、演奏家として、教師として、家計を支え、娘たちを育て上げました。
離婚後も義母(元夫の母)と同居し看取った母の強さと優しさ
ヤマザキマリさんの母・リョウコさんの人柄を表しているエピソードが、再婚相手の母親、つまり「元義母」との関係です。
通常、離婚をすれば夫側の親族との縁は切れるのが一般的です。
しかし、リョウコさんは離婚後も、行き場のない義母(ハルさん)と同居を続けました。
このリョウコさんの行動は、ヤマザキマリさんの家族観にも大きな影響を与えました。
「血の繋がりだけが家族ではない」「形式にとらわれず、魂で結びついた関係こそが大切だ」というヤマザキマリさんの考え方は、母リョウコさんから学んだものなのかもしれません。
ヤマザキマリの経歴と現在|イタリア在住の漫画家・随筆家
最後に、ヤマザキマリさんのこれまでの経歴と、現在の活動についてまとめます。
10代で日本を飛び出し、世界各地を放浪しながら独自の感性を培ってきたヤマザキマリさんは、現在どのような生活を送っているのでしょうか。
17歳でイタリア留学、極貧生活から世界的漫画家へ
ヤマザキマリさんのキャリアの原点は、17歳でのイタリア留学にあります。
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フィレンツェの美術学校で油絵と美術史を学びながら、11年間をイタリアで過ごしました。
その間、極貧生活やシングルマザーとしての苦労を経験しましたが、それら全ての経験がヤマザキマリさんの作品の糧となりました。
生活費のために描き始めたエッセイ漫画でデビューし、その後、夫の影響で古代ローマへの関心を深め、『テルマエ・ロマエ』を執筆。
これが空前の大ヒットとなり、マンガ大賞や手塚治虫文化賞短編賞を受賞しました。

映画化もされましたね
ヤマザキマリさんの漫画は、単なるエンターテインメントにとどまらず、異文化理解や歴史への深い洞察が含まれており、世界中の読者に愛されています。
現在はイタリア・パドヴァ在住、東京造形大学客員教授も務める
2025年現在、ヤマザキマリさんはイタリアの北東部、ヴェネト州にあるパドヴァに自宅を構えています。
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ただ、イタリアを拠点にしつつも、仕事のために日本と行き来する生活を続けています。
漫画家、文筆家としての活動に加え、東京造形大学の客員教授や日本女子大学の特別招聘教授を務めるなど、教育の分野でも活躍し、次世代の育成にも情熱を注いでいます。
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また、メディアでのコメンテーターとしても、独自の視点からの鋭いコメントが好評を博しています。
なお、2024年からは『テルマエ・ロマエ』の続編となる『続 テルマエ・ロマエ』の連載も開始し、還暦間近となったルシウスの新たな物語を描き始めています。
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クリエイターとして、知識人として、そして一人の人間として、ヤマザキマリさんの進化は止まることがありませんね。



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