若井みどりを最近見ない理由は事実上の引退!現在の生活は?夫はどんな人?経歴も調査!

若井みどりを最近見ない理由は事実上の引退!現在の生活は?夫はどんな人?経歴も調査! お笑い(吉本新喜劇)

若井みどりを最近見ない理由は事実上の引退!現在の生活は?

かつて女流漫才コンビ「若井小づえ・みどり」として一世を風靡し、その後は吉本新喜劇のベテラン女優として「おじゃまパジャマ」のギャグなどで長年お茶の間に笑いを届けてきた若井みどりさん。

しかし、「最近、吉本新喜劇で若井みどりさんをめっきり見なくなった」「テレビにも出ていないけど、どうしているんだろう?」と、その姿が見えないことを心配し、現在の活動状況を気にする声が多く上がっています。

まず、多くの人が抱く「若井みどりさんを最近見ない」という疑問に、結論からお答えします。

若井みどりさんは、2023年末頃に事実上、芸能界を引退されていました。

この記事では、若井みどりさんを最近見なくなった理由である「引退」の真相から、現在の穏やかな生活、そして病気の噂まで、その知られざる近況を徹底的に解説していきます。

2023年末に吉本新喜劇を事実上引退していた

多くのファンが知らないうちに、若井みどりさんは静かに舞台から身を引いていました。

2025年5月に公開されたYouTubeチャンネル「小文枝のおしゃべり喫茶」の中で、若井みどりさん自身の口から、2023年末頃に吉本新喜劇を事実上引退していたことが明かされました。

公に引退会見などを開くことなく、親しい座長にだけその意思を伝え、静かに身を引いたとのこと。

実に1年半もの間、舞台から遠ざかっていたことになります。

吉本興業の公式ホームページにはプロフィールが残されているため、完全な引退ではない可能性もありますが、本人の「舞台に戻る気はない」という言葉からも、芸能活動の第一線からは退いたと考えるのが自然でしょう。

「最近見ない」と感じていたファンの疑問は、この「事実上の引退」が答えだったのです。

引退理由はセリフ覚えと夫のがん闘病

では、長年情熱を注いできた舞台を去るという大きな決断に至った理由は何だったのでしょうか。

若井みどりさんは、その理由として二つの大きな点を挙げています。

一つは、ご自身の年齢的な問題です。

「80歳になって難しいセリフが覚えられんようになった」と語り、加齢によってセリフ覚えが悪くなってきたことで、共演する後輩たちに迷惑をかけたくないというプロとしての矜持があったことを明かしました。

そして、もう一つの大きな理由が、長年連れ添ってきた夫の存在です。

夫が大腸がんを患ったことが、自身の引き際を考える大きなきっかけになったと語っています。

これからの人生は、夫との時間を大切に、のんびりと過ごしていきたいという思いが、引退という決断を後押ししたのでしょう。

現在の生活は?「主婦として毎日スーパーで買い物」

芸能界の第一線を退いた若井みどりさんは、現在どのような生活を送っているのでしょうか。

YouTubeでの対談では、「今は主婦として毎日スーパーで買い物しています」と、穏やかな笑顔で語っています。

長年、多くの観客を笑わせるために尽力してきた日々から一転し、現在は一人の主婦として、夫との平穏な毎日を大切に過ごしているようです。

先日は沖縄旅行に行くなど、元気な様子も見せており、第二の人生を心から満喫していることがうかがえます。

若井みどりの病気の噂は本当?

「最近見ない」という状況から、「何か大きな病気を患っているのではないか」と心配する声も一部でありました。

しかし、これも全くの事実無根です。

引退の理由は前述の通りであり、若井みどりさん自身の体調が悪いというわけではありません。

YouTubeで見せるその姿は、年齢を感じさせないほど元気で、トークも現役時代と変わらぬキレを見せています。

ファンにとっては、病気ではなく、自らの意思で穏やかな引退生活を選んだという事実に、安堵すると同時に、一時代の終わりを少し寂しく感じるかもしれません。

若井小づえ・みどり時代の活躍|「嫁にもぉてぇ~!」で一世を風靡

若井みどりさんのキャリアを語る上で、伝説の女流漫才コンビ「若井小づえ・みどり」の時代は欠かすことができません。

若井小づえ・みどり

若井小づえ・みどり【出典:日刊ゲンダイ

派手な衣装と帽子を身につけた若井小づえさんが「嫁に、もぉてぇ~!おっきがぁるに♪」と叫び、それを若井みどりさんがクールにあしらうという独特のスタイルで、1980年代の漫才ブーム後の関西のお笑い界を席巻しました。

ここでは、若井みどりさんの原点である、若井小づえさんとの出会いから、コンビ解散の真相、そしてその後の吉本新喜劇での活躍までを振り返ります。

相方・若井小づえさんとの出会いとコンビ結成

若井みどりさんと、生涯の相方となる若井小づえさん(本名:五十嵐雍子さん)との出会いは、高校卒業後に通っていた洋裁学校でした。

同級生で友人同士だった二人は、当時人気絶頂だった漫才コンビ「若井はんじ・けんじ」さんの大ファンになります。

スターに近づきたい一心で楽屋を訪ねるうちに、二人はファンから弟子へと、その関係性を大きく変えていくことになります。

1965年、「若井こづえ・ひとみ」として神戸松竹座で初舞台を踏み、ここに伝説の女流漫才コンビが誕生しました。

解散理由は?相方のヨガ転身と急逝

絶大な人気を誇った「若井小づえ・みどり」ですが、1991年にコンビとしての活動に終止符を打ちます。

 

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その解散理由については、様々な説がささやかれました。

一つは、後述する若井みどりさんの結婚により、独身を売りにしてきたコンビのキャラクターに差がついてしまったという説。

もう一つは、若井みどりさんが結婚を隠していたことに若井小づえさんが腹を立てたという説です。

しかし、若井みどりさん自身がインタビューで語った解散理由は、全く異なるものでした。

それによると、相方の若井小づえさんが長年続けてきたヨガの指導者になるという新たな夢を追いかけるため、「私はもう漫才はいい」と、自ら漫才の世界を去ることを決意したとのことです。

会社は慰留したものの、若井小づえさんの決意は固かったそうです。

しかし、会社は「いつか気が変わって戻ってくるかもしれない」と考え、正式な「解散」ではなく、「充電期間」としていたと言います。

しかし、その5年後の1999年1月、若井小づえさんはクモ膜下出血により51歳という若さで急逝。

二人の漫才が復活することは、永遠に叶わなくなってしまいました。

吉本新喜劇への入団と「おじゃまパジャマ」ギャグ

相方を失い、一時はメグマリコさんと新たなコンビを組むなど、漫才への情熱を燃やし続けた若井みどりさん。

 

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しかし、2007年10月、そのキャリアに大きな転機が訪れます。

吉本興業からの誘いを受け、吉本新喜劇に入団することを決意したのです。

漫才師として大成したベテランが新喜劇に入団するのは異例のことでしたが、若井みどりさんはその世界に見事に順応。

丸い顔を「自転車のチリンチリン」などといじられるキャラクターを確立し、多くの観客を笑わせました。

そして、2014年頃からは、舞台に登場する際に言う「おじゃまパジャマ」という出ギャグが生まれ、新喜劇の新たな名物として定着しました。

若井みどりの夫はどんな人?師匠との約束で13年事実婚

長年にわたり、「結婚したい」という願望をネタにしてきた若井みどりさんですが、実はその裏で、一人の男性と長年愛を育んでいました。

しかし、その関係は、師匠とのある「約束」によって、長く公にすることができないものでした。

ここでは、若井みどりさんの夫がどのような人物なのか、そして13年にも及ぶ事実婚を乗り越えて結婚に至った、知られざる愛の物語に迫ります。

夫は会社経営者!馴れ初めは?

若井みどりさんの夫は、芸能界とは関係のない、会社を経営している一般の男性です。

そのため、顔写真や名前といった詳細な個人情報は公表されていませんが、若井みどりさんを長年にわたり支え続けてきた、誠実で器の大きな人物であることがうかがえます。

二人がどのようにして出会ったのか、その馴れ初めについては分かっていませんが、若井みどりさんがまだ若手で下積み時代が長かった頃から、その関係は始まっていたようです。

なぜ結婚しなかった?師匠との「生涯独身」の約束

長年交際しながらも、若井みどりさんが夫と正式に結婚しなかったのには、大きな理由がありました。

それは、弟子入りする際に、師匠である若井はんじ・けんじさんと交わした、ある厳しい約束があったからです。

若井はんじ(左)・若井けんじ(右)

若井はんじ(左)・若井けんじ(右)【出典:デイリースポーツ

当時、「女芸人は結婚すると辞めてしまう」という考えが根強く、師匠は弟子入りを断り続けていました。

そこで若井みどりさんと若井小づえさんは、「結婚しませんから」と宣言し、「生涯独身を貫く」ことを条件に、ようやく弟子入りを許されたのです。

この師匠との約束を律儀に守り、若井みどりさんは長年、夫と籍を入れない「事実婚」という形を貫いていました。

周囲には、同棲していた夫のことを「兄と一緒に住んでいる」と説明していたそうです。

師匠の死を機に結婚|子供はいる?

13年にも及んだ事実婚に転機が訪れたのは、師匠の若井はんじさんと若井けんじさんが相次いで亡くなったことでした。

1976年に若井はんじさんが病死し、1987年に若井けんじさんが交通事故で急逝。

守るべき約束の相手がいなくなったことで、若井みどりさんはついに夫と正式に入籍することを決意します。

 

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長年、日陰の存在であった夫を、ようやく公のパートナーとして迎えることができたのです。

このエピソードからも、若井みどりさんの義理堅く、誠実な人柄が伝わってきます。

なお、若井みどりさんと夫の間に、お子さんがいるという情報はありません。

おそらく、お子さんには恵まれなかったものと推測されます。

若井みどりのプロフィール|年齢や経歴まとめ

女流漫才師として、そして吉本新喜劇の女優として、半世紀以上にわたりお笑いの世界で生きてきた若井みどりさん。

そのキャリアは、まさに戦後の上方演芸史そのものです。

ここでは、若井みどりさんの年齢などの基本的なプロフィールから、夢を追いかけた若い頃の情熱、そして後輩たちから慕われる現在の素顔までをご紹介します。

年齢や本名、出身地などの基本情報

若井みどりさんの本名は、北浦 也寿子(きたうら やすこ)さん(旧姓:岩内)です。

1946年7月29日生まれで、出身地は大阪府大阪市です。血液型はO型

師匠は、昭和の上方漫才界を代表するコンビ、若井はんじ・けんじさんです。

その芸歴は50年を超え、上方漫才大賞などを受賞しています。

若い頃は弟子入りするために必死!ファンから弟子への道

若井みどりさんがお笑いの世界に入るきっかけは、純粋な「ファン」としての憧れでした。

当時、若くて男前で面白かった若井はんじ・けんじさんの漫才に夢中になり、友人だった若井小づえさんと共に追っかけを始めます。

たくさんのファンレターの中で目立つために、わざと悪口を書いた手紙を送ったり、舞台のオチで紙テープを投げたりと、かなり過激なファンだったようです。

そして、「弟子にしてほしい」と何度も頼み込みますが、「女の弟子はいらん」と断られ続けます。

しかし、半年間粘り続け、ついに「生涯独身」という厳しい条件のもと、憧れの師匠の弟子になるという夢を叶えたのです。

その若い頃の情熱と行動力が、その後の長い芸人人生の原点となりました。

面倒見が良い姐御肌!後輩に慕われる素顔

長年のキャリアの中で、若井みどりさんは多くの後輩芸人から「姐さん」として慕われています。

その理由は、面倒見の良さと、その太っ腹な性格にあります。

吉本新喜劇の楽屋では、常にお茶会を開いたり、出前の料理を後輩たちにご馳走したりするのが日常茶飯事。

若手芸人にご飯をご馳走するだけでなく、「予防接種せえへんか?」と、健康まで気遣ってくれるという、まさに「お母さん」のような存在です。

厳しくも温かいその人柄が、多くの後輩たちにとって心の支えとなっているのでしょう。

現在の心境は?「舞台に戻る気はない」と語る第二の人生

長年走り続けた芸能界の第一線から、静かに身を引いた若井みどりさん。その現在の心境は、どのようなものなのでしょうか。

YouTubeチャンネルで語られた言葉からは、自身のキャリアを冷静に見つめ、新たな人生を穏やかに受け入れている、潔い姿が浮かび上がってきます。

YouTubeで語った引退の真相と現在の生活

2025年5月に公開されたYouTubeチャンネル「小文枝のおしゃべり喫茶」で、若井みどりさんは旧知の仲である桂小文枝さんを相手に、引退の真相を赤裸々に語りました。

セリフ覚えが悪くなったこと、夫の闘病など、引退に至った経緯を包み隠さず話す一方、「今は主婦として毎日スーパーで買い物しています」と、現在の穏やかな生活を楽しんでいる様子を笑顔で報告しました。

その表情からは、未練や後悔といった感情は一切感じられず、むしろ解放されたような晴れやかささえ漂っていました。

「引き際を考えなあかん」潔い引退観

対談の中で、若井みどりさんは「トシをとったら引き際を考えなあかん」と、自身の引退観についても語っています。

全盛期を知るベテランだからこそ、自身のパフォーマンスに衰えを感じた時、潔く身を引くことの美学を持っているのでしょう。

「舞台に戻る気はない!」ときっぱりと言い切るその姿からは、半世紀以上にわたる芸人人生を全力で駆け抜け、全てを出し切ったという、清々しい満足感が伝わってきます。

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