立岩陽一郎の妻はどんな人?娘との関係や家族構成は?身長や若い頃からの経歴も調査!

立岩陽一郎の妻はどんな人?娘との関係や家族構成は?身長や若い頃からの経歴も調査! ジャーナリスト

【結論】立岩陽一郎の妻はどんな人?結婚はいつ?

結婚はいつ?1999年10月11日が記念日

情報番組などで、鋭い視点からニュース解説を行うジャーナリストの立岩陽一郎さん。

NPO法人インファクトの編集長としてファクトチェックを推進する硬派なイメージが強い立岩陽一郎さんですが、プライベートではどのような家庭を築いているのでしょうか。

 

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まず、立岩陽一郎さんの結婚についてですが、立岩陽一郎さんは既婚者であり妻がいらっしゃいます。

結婚した時期については、1999年10月11日が結婚記念日であることが分かっています。

2025年時点で結婚生活は26年目を迎えることになり、長きにわたって連れ添ってきたパートナーであることがうかがえます。

NHKの記者として多忙を極め、テヘラン特派員として海外へ赴任することもあった激動のキャリアを、妻として陰ながら支え続けてきたのでしょう。

妻はどんな人?一般女性でメディア露出はなし

では、立岩陽一郎さんの妻はどのような方なのでしょうか。

調査したところ、妻は一般の方であり、名前や年齢、職業、顔写真といった詳しいプロフィールは一切公表されていません。

立岩陽一郎さんは調査報道やファクトチェックという、時に権力側と対峙することもある仕事に携わっています。

 

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そのため、自身だけでなく家族の安全やプライバシーを守るために、あえて家族に関する詳細な情報は表に出さないようにコントロールしている可能性が高いと考えられます。

メディアに露出することはありませんが、立岩陽一郎さんのSNSなどでは時折、妻との日常が垣間見えるエピソードが投稿されることがあります。

そこからは、ジャーナリストとしての厳しい顔とは異なる、家庭人としてのリラックスした様子が伝わってきます。

夫婦仲は?野球観戦をめぐる微笑ましいエピソード

立岩陽一郎さんと妻の夫婦仲の良さが伝わる、微笑ましいエピソードがあります。

それは、大リーグ・ドジャースのワールドシリーズの試合観戦をめぐる出来事です。

ある日、仕事中だった立岩陽一郎さんはドジャースが負けていることを知り、気になって昼過ぎに一度自宅へ戻りました。

ちょうど帰宅した瞬間に同点ホームランが出て、さらに山本由伸投手が再登板するという熱い展開に。

もう少しだけ見てから仕事に戻ろうとした矢先、山本由伸投手がデッドボールを当ててしまい、試合が荒れ模様になりました。

すると、試合の流れを夫が悪くしたと思ったのか、妻から「観ないでよ」と家を追い出されてしまったそうです。

結局、仕事までの約1時間を街で彷徨うことになったという立岩陽一郎さんですが、このエピソードをご自身のXで紹介しており、妻に頭が上がらない様子や、そんなやり取りを楽しんでいるような夫婦関係がうかがえます。

厳格なジャーナリストも、家では妻に叱られる普通の夫であるというギャップが、立岩陽一郎さんの魅力をさらに引き立てています。

立岩陽一郎の家族構成|娘や母親・父親との関係

娘がいることをSNSで公表!父の日にプレゼントも

立岩陽一郎さんには、妻との間にお子さんがいらっしゃいます。

性別は娘さんで、SNSの投稿などからその存在が明らかになっています。

2022年6月の『めざまし8』出演時には、YouTubeの影響力について議論する中で「うちの子供なんて大学生ですけどYouTubeしか見てないですからね」と発言しており、2022年時点で娘さんが大学生であったことが推測されます。

娘さんとの関係は非常に良好なようで、2024年の「父の日」には、娘さんからコーヒー用のポットをプレゼントされたことを嬉しそうに報告していました。

立岩陽一郎さんは大のコーヒー好きとして知られており、娘さんは父親の好みを熟知した素晴らしい贈り物を選んだようです。

立岩陽一郎さんは「感謝」という言葉とともに、そのポットで淹れたコーヒー豆が膨らむ様子を投稿しており、娘からの愛情を深く感じている様子でした。

家族仲は良好?誕生日ケーキや外食のエピソード

立岩家は家族仲がとても良いことでも知られています。

記念日などには家族で外食に出かける様子がXに投稿されることもあり、多忙な中でも家族との時間を大切にしていることが分かります。

また、誕生日に家族が用意してくれたというケーキのエピソードもユニークです。

そのケーキには、「おとうさんよくがんばりました」という上から目線(?)なメッセージプレートが添えられていたそうで、立岩陽一郎さんはそれを「ご愛嬌」と表現しつつも、嬉しそうに写真をアップしていました。

こうしたユーモアのあるやり取りができるのも、家族間の信頼関係が築かれている証拠でしょう。

普段は社会の不正を追及する厳しい目を持つ立岩陽一郎さんですが、家族の前では良き夫、良き父親としての穏やかな顔を見せているようです。

父親は2024年2月に他界、形見を握りマラソン完走

立岩陽一郎さんの父親は、2024年2月に亡くなられています。

父親の死は立岩陽一郎さんにとって大きな出来事だったようで、その直後に参加したマラソン大会では、亡き父の形見を握りしめながら走ったことを明かしています。

腰にコルセットを巻くほどのコンディションの中、無理をせず完走を果たしたその手には、父親への深い思いが込められていたのでしょう。

また、父親の遺品整理の際には、母親から紳士靴を数足譲り受けたそうです。

「一度しか使っていない」というきれいな靴でしたが、実際に履いてみるとつま先立ちのような感覚になり、怖くて歩けなかったといいます。

よく確認してみると、それはなんとシークレットブーツでした。

生前の父親の意外な一面を知り、驚きつつもそれをSNSで共有する様子からは、亡き父への愛着と、少しのユーモアを持って思い出を大切にしようとする姿勢が感じられます。

立岩陽一郎の身長や若い頃からの経歴は?|NHKからフリーへ

出身地と身長は?

立岩陽一郎さんの基本的なプロフィールを確認しておきましょう。

1967年生まれで、2025年には58歳になり、出身地は神奈川県横浜市です。

身長は170cmですが、学生時代にアメリカンフットボールをしていた経験があり、現在もジョギングなどで体を鍛えているためか、がっしりとした体格で、実際の身長よりも大きく見えることがあるかもしれません。

メディア出演時などに見せる堂々とした立ち振る舞いも、その印象を強めているのでしょう。

若い頃はメキシコ育ち?アメリカンスクールでアメフト部

横浜市で生まれた立岩陽一郎さんですが、多感な時期を海外で過ごした経験があります。

16歳の時、父親の仕事の関係でメキシコに渡り、1年間居住していました。

現地ではメキシコの高校ではなく、アメリカンスクールに通っていたそうです。

このアメリカンスクール時代に、立岩陽一郎さんはアメリカンフットボール部で活動していました。

帰国後に入学した大学でもアメフト部に所属しており、立岩陽一郎さんのスポーツマンとしての基礎はこの時期に培われたようです。

また、日本大学のアメフト部による反則タックル問題が社会的に注目された際には、自身のアメフト経験者としての立場から、各種メディアで積極的に意見を述べていました。

NHK時代のスクープと退職理由「調査報道の限界」

大学卒業後の1991年、立岩陽一郎さんはNHKに入局し、報道記者としてのキャリアをスタートさせました。

初任地の沖縄放送局時代から調査報道に関心を持ち、その後、大阪放送局や東京の放送センター社会部などで活躍しました。テヘラン特派員として海外取材も経験しています。

NHK時代には数々の重要なスクープをものにしています。

特に有名なのが、小泉内閣時代に報じた「中央省庁における随意契約」の問題です。

会計法で原則禁止されているはずの随意契約が、実際には高い割合で行われている実態を暴き、これがきっかけで政府は随意契約を原則廃止するに至りました。

また、大阪の印刷会社で従業員の胆管がん罹患率が異常に高いことを突き止め、原因となった化学物質ジクロロメタンの使用実態をスクープしたのも立岩陽一郎さんでした。

しかし、こうした輝かしい実績の一方で、NHKという巨大組織の中での政治関連の調査報道に限界を感じるようになり、2016年12月31日付でNHKを退職

フリーのジャーナリストとして独立する道を選びました。

立岩陽一郎の学歴|一橋大学からアメリカン大学留学も

出身大学は「一橋大学」社会学部

立岩陽一郎さんの最終学歴(学部)は、一橋大学社会学部卒業です。

一橋大学は東京都国立市にある国立大学で、特に社会科学系においては東大や京大と並ぶ日本トップクラスの難関大学として知られています。

一橋大学

一橋大学【出典:wiki

メキシコからの帰国後にこの名門大学に進学したことから、立岩陽一郎さんが若い頃から非常に優秀な頭脳を持っていたことがうかがえます。

大学では勉学に励む一方で、前述の通りアメリカンフットボール部にも所属し、文武両道を実践していました。

NHK在職中にアメリカン大学へ留学

NHKに入局後も、立岩陽一郎さんの学びへの意欲は尽きませんでした。

記者として多忙な日々を送る中、2010年から1年間、アメリカのワシントンD.C.にある名門私立大学「アメリカン大学」に留学しています。

アメリカン大学

アメリカン大学【出典:wiki

この留学経験は、立岩陽一郎さんの国際的な視野をさらに広げ、後のジャーナリスト活動にも大きな影響を与えたと考えられます。

NHK退職後の2017年には、再びアメリカン大学に客員研究員として在籍し、アメリカ国内での取材活動も行っていました。

50代で京都大学大学院の博士後期課程へ

学び続ける姿勢は50代になっても変わりません。

MBSテレビでニュースを解説する立岩陽一郎

MBSテレビでニュースを解説する立岩陽一郎【出典:TBSNEWSDIG

NHK在職中の2016年には放送大学大学院で修士(学術)の学位を取得していますが、さらに2023年度からは、京都大学大学院教育学研究科のメディア文化論研究室において、博士後期課程の学生として学生生活を再開させています。

大学教授として教壇に立ちながら、自らも一学生として研究を続けるその探究心には感心させられますね!

立岩陽一郎の現在の活動|大阪を拠点にファクトチェック

NPO法人「インファクト」編集長としての活動

NHK退職後、立岩陽一郎さんは活動の拠点を東京から大阪に移しました。

そして、自身が最も重視する「調査報道」と「ファクトチェック」を推進するため、認定NPO法人「インファクト(旧アイ・アジア)」を立ち上げ、代表理事兼編集長に就任しました。

認定NPO法人「インファクト」

認定NPO法人「インファクト」【出典:インファクト

また、公益財団法人「政治資金センター」の理事も務めており、政治資金収支報告書をデジタル化して公開するなど、政治の透明性を高める活動にも尽力しています。

既存のメディアでは扱いきれない深い調査や、ネット上に溢れる偽情報の検証などを通じて、ジャーナリズムの新しい形を模索し続けています。

『めざまし8』などメディア出演と大学教授としての顔

フリージャーナリストとしては、テレビやラジオなどにコメンテーターとして出演し、ニュース解説を行っています。

『日刊ゲンダイ』での連載「ファクトチェック・ニッポン」など、執筆活動も精力的です。

教育者としての顔も持ち、2022年からは大阪芸術大学で教鞭を執り始めました。

2023年度からは大阪芸術大学短期大学部のメディア・芸術学科で教授を務めており、次世代のメディアを担う人材の育成にも力を注いでいます。

現在ダイエット中?腰痛と街での声かけがきっかけ

硬派な仕事ぶりとは裏腹に、私生活では甘いものやワインが大好きという一面もあります。

X(旧Twitter)には時折、美味しそうなスイーツの写真が投稿され、疲れた時にはワインで英気を養っているようです。

そんな立岩陽一郎さんですが、2024年頃からはダイエットに取り組んでいるとのこと。

そのきっかけは、街で知らない女性からいきなり「やせてください」と声をかけられたこと、そして持病の腰痛が悪化したことでした。

健康維持のため、皇居周辺でのジョギングなどを習慣に取り入れ、順調に減量を進めているようです。

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