【結論】野村明大の嫁はどんな人?子供は双子!
野村明大の嫁は4歳年下の「まゆみ」さん
読売テレビの解説委員として『朝生ワイド す・またん!』などで活躍する野村明大さん。
独自の視点と鋭い解説で知られる野村明大さんですが、プライベートではどのような家庭を築いているのでしょうか。
野村明大さんは既婚者であり、奥様がいらっしゃいます。

野村明大【出典:スポーツ報知】
奥様のお名前は「まゆみ」さんといい、年齢は野村明大さんよりも4歳年下です。
野村明大さんが1972年生まれですので、奥様は1976年生まれということになります。
番組内やご自身のブログでも、時折奥様について触れることがあり、その様子からは夫婦仲の良さがうかがえます。
例えば、『す・またん!』のVTR出演時には「まゆみ(妻)愛してるよ〜!」と公共の電波を使って愛を叫んだこともあるほどです。
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普段の冷静な解説とはギャップのある、熱烈な愛妻家としての一面を持っているようです。
子供は2007年生まれの男女双子!
野村明大さんと妻のまゆみさんの間には、お子さんがいらっしゃいます。
なんと、2007年に生まれた男女の双子です。
一男一女の双子ということで、育児は想像を絶する大変さだったことでしょう。
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野村明大さんのブログでは、子供たちを「PTC(プリティ・ツイン・チルドレン)」という愛称で呼んでおり、その成長を愛情たっぷりに綴っていました。
双子がまだ幼い頃には、「メガネ」を男の子は「ガメ」、女の子は「ギメ」と言い間違えていたという可愛らしいエピソードも披露しています。
2007年生まれなので、2025年現在では18歳になり、高校を卒業する年頃になっている計算です。
また、読売テレビのアナウンス部内には双子の親になる男性アナウンサーが多いという驚きの事実もブログで明かしていました。

一時期は、部長を除く現役男性既婚子持ちアナウンサーのうち、なんと50%が双子の父親だったそうです。
双子の子育てエピソード「妻のゴミ出しをサポート」
双子の育児に奮闘する妻・まゆみさんを支えるため、野村明大さんはユニークな方法でサポートをしていました。
それは「ゴミ出しのバックアップメール」です。
まだ子供たちが1歳だった頃、育児に疲れ果てた妻が朝寝坊をしてゴミ出しを忘れてしまうことがないよう、野村明大さんは燃えるゴミの日である月曜と木曜の朝8時20分頃に、「ゴミ出し、がんばってねぇー!」というメールを送っていたそうです。
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そのために、自身の携帯電話にも専用のアラームをセットするほどの徹底ぶりでした。
さらに、妻が天気予報をあまり信じずに洗濯物を外に干してしまう「感覚派」であることから、野村さんは雨雲接近を知らせるメールサービスを利用し、自分に届いた通知を即座に妻に転送するという「雨アラーム」の役割も果たしていました。

こうした細やかな気遣いからも、野村明大さんがいかに家族思いであるかが伝わってきます。
野村明大の父親は「強い存在」?母の実家は造り酒屋
父親の情報は非公表だが「強い存在」とブログで言及
野村明大さんの父親についての具体的な職業や経歴といった情報は、一般の方ということもあり、ほとんど公表されていません。
しかし、野村明大さん自身のブログの中で、父親像について触れている箇所があります。
そこには「父親というものは、とにかく“強い”存在である」ということを子供たちに見せていくのが野村家の教育方針である、といった趣旨の記述がありました。
このことから推測すると、野村明大さんのお父様自身も、家庭内で威厳のある「強い父親」であった可能性が高いです。
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野村明大さんが灘中・灘高から東京大学へ進学するという超エリートコースを歩んだ背景には、こうした厳格な教育方針を持った父親の存在があったのかもしれません。
母の実家は高知の造り酒屋!銘酒「文○人」との関係
一方、母親の実家については、非常に興味深い情報が明かされています。
野村明大さんの母方の実家は、高知県にある造り酒屋なのだそうです。
具体的な酒造会社名までは明言されていませんが、ブログの中で「文○人」という銘柄のお酒について触れており、これは高知県の銘酒「文佳人(ぶんかじん)」である可能性が非常に高いと考えられます。

文佳人【出典:近藤酒店】
「文佳人」は、明治創業の老舗酒造会社が醸す日本酒で、全国的にもファンが多いことで知られています。

野村明大さん自身もお酒が好きで、たしなむことがあるようです。
母の実家の酒が飲食店で大々的に売られていて感動したエピソード
野村明大さんは、行きつけの料理屋で母の実家のお酒「文○人」が突然大々的に売り出されているのを目撃し、感動したというエピソードをブログに綴っています。
お店のご主人に理由を尋ねたところ、「酒屋さんから『このお酒はおいしいから是非置いてみて』と薦められた」との答えが返ってきたそうです。
お酒好きのお客さんからも好評を得ていると聞き、身内として非常に誇らしく、素直に嬉しかったと語っています。

文佳人の蔵元である株式会社アリサワ【出典:sakenomy】

自分のルーツである実家のお酒が、第三者から高く評価されているのを知るのは、何物にも代えがたい喜びだったことでしょう。
野村明大の若い頃は?東大卒のエリートアナウンサー
出身大学は東京大学経済学部!灘中・高卒の超エリート
野村明大さんの学歴は、まさに輝かしいエリートそのものです。
兵庫県尼崎市の出身で、小学校は大阪市立鴫野小学校に通っていました。
ytvアナウンサーの #夏の一瞬🌻
今回は #野村明大 アナウンサー!
『夏の思い出といえば…真っ黒に日焼けして 野球ばっかりしてました!!😆
写真は小3くらい?
今の子供たちは なかなかそうもいきませんね…😭』 pic.twitter.com/25lyUVOy8w— 読売テレビアナウンサー【公式】 (@ytv_ana_kojo) August 27, 2025
その後、中学受験で日本屈指の超難関校である灘中学校に入学し、そのまま灘高等学校へと進学します。

灘中学校・高等学校【出典:wiki】
大学はこれまた日本最難関の東京大学に入学し、経済学部経済学科を卒業しました。
大学時代は金融を専門とする伊藤正直ゼミに所属していたそうです。

灘から東大という、日本の受験エリートの王道を行く経歴の持ち主であり、その頭脳明晰さは現在のニュース解説にも遺憾なく発揮されています。
若い頃はスリムだった?入社後に激太りした過去
現在はかっぷくの良いイメージもある野村明大さんですが、若い頃は非常にスリムだったそうです。
大学時代は体重が60キロから64キロ程度で、身長175センチに対してかなり細身の体型でした。
しかし、読売テレビに入社後、食生活の変化から体重が増加。
一時期は74キロまで増えてしまい、人生最高の体重を記録したといいます。
プロ野球解説者ある川藤幸三さんからも「飯を食うのだけは若手選手より上だ」と言われるほどの大食漢ぶりだったようです。
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その後、健康のために一念発起し、「毎日体重を測るだけダイエット」を実践。

10年以上にわたり毎日欠かさず体重を記録することで、徐々に70キロ前後まで減量し、その体重をキープするようになったという努力家な一面もあります。
高校時代は茶髪だった意外な一面も
真面目なエリートという印象が強い野村明大さんですが、意外にも高校時代は「茶髪」にしていた時期があったそうです。
これは自身がパーソナリティを務める音声メディア「Voicy」の中で明かした過去で、リスナーを驚かせました。
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さらに、バブル時代を象徴する伝説のディスコ「ジュリアナ東京」でアルバイトをしていた経験もあるといいます。
灘高から東大という超進学校に通いながら、当時の流行の最先端スポットで働いていたとは、意外な行動力と好奇心の持ち主だったことがうかがえます。
育成時代の
野村明大 pic.twitter.com/ZAPmPm7POI— 森たけし(フリ〜♬た~アナウンサー ) (@TakeshiMori) March 21, 2018
野村明大のプロフィールと経歴|『ミヤネ屋』から『す・またん!』へ
1996年読売テレビ入社、スポーツ実況や『名探偵コナン』出演も
野村明大さんは1996年にアナウンサーとして読売テレビに入社しました。
入社当初は『ズームイン!!朝!』や『週刊トラトラタイガース』のキャスターを務める傍ら、野球やサッカーなどのスポーツ実況も担当していました。
また、1997年に公開された劇場版アニメ『名探偵コナン 時計じかけの摩天楼』では、ヘリコプターから爆弾事件を実況するニュースキャスター役として声優出演も果たしています。

これは読売テレビのアナウンサーならではの貴重な経験と言えるでしょう。
記者時代は橋下徹の番記者として激論を交わす
2007年からは報道局の記者を兼務し、大阪府市政担当キャップとして当時の橋下徹大阪府知事の番記者を務めました。
知事の定例会見では度々橋下氏と激論を交わし、その鋭い質問と論理的な追求は、橋下氏をして「理屈では勝てない」と言わしめるほどでした。
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2010年には、後に「大阪維新の会」が掲げることになる「大阪都構想」をスクープするなど、記者としても優れた実績を残しています。
神戸支局長などを歴任し、現場での取材経験を豊富に積んできました。
『ミヤネ屋』プロデューサーを経て現在は解説委員
2013年からは『情報ライブ ミヤネ屋』のプロデューサーを務めながら、番組内で解説やリポートを担当するようになります。
野村明大アナがミヤネ屋P時代 センテンススプリングの思い出#そこまで言って委員会NP pic.twitter.com/X1NIlxQveE
— ADASAN (@adasan2015) December 8, 2024
2014年のSTAP細胞問題に関する記者会見では、司会の宮根誠司さんから「この番組で一番頭の良い人を送り込みました」と紹介され、その知見への信頼の厚さがうかがえました。
2018年からは『朝生ワイド す・またん!』のニュース解説を担当し、辛坊治郎さんの後任としてメインの解説者となりました。
2021年6月からは「解説委員」に就任し、読売テレビの報道の顔として、日々ニュースを分かりやすく伝えています。
野村明大の意外な一面|阪神ファンで競馬好き
熱烈な阪神ファン!優勝インタビューも担当
兵庫県出身ということもあり、野村明大さんは熱烈な阪神タイガースファンとしても知られています。
子供の頃は公式ファンクラブ「阪神こどもの会」に入っていたほどの筋金入りです。
アナウンサーとしては、2005年に阪神がリーグ優勝を決めた試合で、当時の岡田彰布監督への優勝監督インタビューを担当するという大役も務めました。
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岡田監督(右)に優勝インタビューをする野村明大(左)【出典:サンスポ】
仕事で大好きなチームの優勝に関われたことは、ファンとして最高の思い出となったことでしょう。
競馬ファンで左利き、愛称は「なんちょこ」?
このほかにも、『す・またん!』の番組内では、自身が「左利き」であることや、「競馬ファン」であることを明かしています。
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また、番組で共演していた森たけしさんからは時折「なんちょこ」という愛称で呼ばれることがあります。
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野村明大(中央)と森たけし(右)【出典:スポニチ】
これは台湾ロケの際に、現地の言葉の誤訳から生まれた言葉で、本人は嫌がっているものの、番組内ではすっかり定着したイジりネタとなっています。

こうした親しみやすいキャラクターも、野村明大さんが多くの視聴者から愛される理由の一つかもしれません。



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