西田あいの実家は鹿児島県姶良市の「蒲生薬局」と判明!
哀愁漂う歌声と、親しみやすい鹿児島弁のトークで人気の歌手、西田あいさん。
2010年のデビュー以来、歌謡曲の世界で活躍し、近年ではイラストレーターやアーティストとしても才能を発揮しています。
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2023年には歌手の中澤卓也さんとの結婚を発表し、公私ともに新たなステージへと歩みを進めています。
そんな西田あいさんのルーツである「実家」はどのような場所なのでしょうか。

この記事では、多くのファンが気になる西田あいさんの実家の場所や家族が経営するお店、そして西田あいさんの人格形成に大きな影響を与えたであろう、自然豊かな故郷・蒲生町について、詳しく解説していきます。
実家の場所は鹿児島県姶良市蒲生町
西田あいさんの実家があるのは、鹿児島県姶良市蒲生町(かもうちょう)です。
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▶︎https://t.co/zH0UUdhGWu @YouTubeより#ニシアイチャンネル#姶良ふるさと大使#薩摩大使 pic.twitter.com/dZnpiPYd0M— 西田あい (@nishidaai) May 19, 2021
西田あいさん自身もプロフィールで「鹿児島県姶良郡蒲生町(現姶良市)出身」と公表しており、幼少期から高校時代までをこの自然豊かな町で過ごしました。
蒲生町は、2010年に姶良町、加治木町と合併して現在の姶良市となりましたが、西田あいさんはデビュー後も「蒲生出身」であることを大切にしており、故郷への深い愛情がうかがえます。
「姶良ふるさと大使」にも任命されるなど、地元・鹿児島県のPRにも積極的に貢献しています。
実家は薬局「蒲生薬局」を経営
西田あいさんの実家は、地元で薬局を経営しています。その名も「蒲生薬局」。

西田あいの実家「蒲生薬局」
これは、過去のテレビ番組やインタビューなどで西田あいさん自身が語っており、ファンの間ではよく知られた情報です。

薬局という地域に根ざしたお店を営む家庭で育ったことが、西田あいさんの温かく、誰にでも分け隔てなく接する人柄を育んだのかもしれません。
インタビューでは、「実家が薬局なので、いらっしゃったお客さんと話をしたり、近所のおじちゃんやおばちゃんと交流していくなかで自然と(鹿児島弁を)学びました」と語っており、実家の薬局が地域の人々との大切な交流の場であったことがうかがえます。
日本一の大楠がパワスポット!実家周辺の環境
西田あいさんの実家がある蒲生町を語る上で欠かせないのが、国の特別天然記念物にも指定されている「蒲生の大楠(かもうのおおくす)」の存在です。

蒲生の大楠 【出典:かごしまの旅】
蒲生八幡神社の境内にあるこの大楠は、樹齢約1500年、幹回りは24.22メートルにも及び、日本で最も大きな楠として知られています。
西田あいさんはインタビューで、「幼い頃から目の前にずっと日本一の大楠がそびえ立っていて、すぐそばにあるのが当たり前だったんです」「私にとっては蒲生に帰るたびに訪れたくなるパワースポット」と語っています。
幼い頃には、その大きな幹にしがみついたり、中に入って遊んだりした思い出もあるそうで、まさに故郷のシンボルであり、西田あいさん自身の心の拠り所となっている特別な存在であることが伝わってきます。
西田あいの家族構成は?姉と弟がいる3人兄弟の真ん中っ子
自然豊かな鹿児島県蒲生町で育った西田あいさん。
その温かい人柄は、どのような家族環境の中で育まれたのでしょうか。

実家での暮らしぶりや、兄弟との関係性など、西田あいさんのルーツを探る上で欠かせない家族構成について、詳しく見ていきましょう。
家族構成:両親・姉・弟・祖父母と同居
西田あいさんは、2歳年上のお姉さんと、弟さんがいる3人兄弟の真ん中として育ちました。
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さらに、ご両親だけでなく、おじい様、おばあ様とも同居していたそうで、賑やかな大家族の中で過ごしたことが分かります。
特に、祖父母と同居していた経験は、後述する西田あいさんの流暢な鹿児島弁にも大きな影響を与えたようです。

薬局を営む両親の背中を見て育ち、姉弟、そして祖父母からの愛情を一身に受けて、明るくのびのびとした少女時代を送ったことが想像できます。
幼少期の思い出|男の子に間違われたおてんば時代?
幼い頃の西田あいさんは、かなり活発なおてんば娘だったようです。
インタビューでは、「声が低く、髪も長くなかったので、よく男の子に間違われた」と語っています。
学校から帰るとランドセルを放り投げ、すぐに外へ遊びに行ってしまうため、ほとんど家にいなかったとか。

小学5年生頃の西田あい 【出典:姶良市】
そんなおてんばな一面とは裏腹に、3歳から英会話を習い始めるなど、早くから知的な好奇心も持ち合わせていました。
また、小学生の頃から人前で何かをするのが好きで、当時大人気だったモーニング娘。に漠然と憧れていたそうです。

この頃から、すでにアーティストとしての片鱗を見せていたのかもしれません。
イカダ下り大会の思い出と地域の絆
西田あいさんの故郷・蒲生町での思い出として、特に印象深く語られるのが、小学生の頃に参加した「地区対抗のイカダ下り大会」です。
水泳が得意だった西田あいさんは、川に入ってイカダを押す係を担当。
ゴールが近づくにつれて体は傷だらけになり、冷え切って心も折れそうになる過酷な体験だったそうです。
しかし、ゴール地点で母親たちが作ってくれたおにぎりを目にした瞬間、達成感と安心感から、子供たちはみんな泣き出してしまったと言います。
「すばらしい経験をさせてもらったと思います。当時、そういう企画をしてくださった地域の方々に本当に感謝です」と語る言葉からは、地域全体で子供たちを育て、支え合っていた温かいコミュニティの存在がうかがえます。

こうした経験が、西田あいさんの地元愛と、人との繋がりを大切にする心を育んだのでしょう。
鹿児島弁は実家仕込み?地元愛あふれるエピソードを紹介
西田あいさんの大きな魅力の一つが、トーク中に時折顔を出す、温かみのある鹿児島弁です。
標準語と巧みに使い分けながらも、ふとした瞬間にこぼれる方言は、多くのファンを惹きつけてやみません。
この特徴的な鹿児島弁は、どのようにして身についたのでしょうか。

そこには、実家での暮らしと、故郷・鹿児島への深い愛情がありました。
祖父母の影響?鹿児島弁が身についた理由
西田あいさんが流暢な鹿児島弁を話す背景には、幼少期から祖父母と同居していたことが大きく影響しているようです。
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インタビューでは、「祖父母と同居していましたので、身近で鹿児島弁を聞いてたのが一番の影響だと思います」と語っています。
また、実家の薬局を訪れる近所のお客さんとの会話も、生きた方言を学ぶ貴重な機会となりました。

「鹿児島弁は地域の人に教えて頂いたんです」という言葉からも、地域の人々との温かい交流の中で、自然と言葉を吸収していった様子がうかがえます。
上京後の苦悩と鹿児島弁への誇り|訛りを武器に
しかし、上京した当初は、この慣れ親しんだ鹿児島弁がコンプレックスとなり、悩んだ時期もあったそうです。
「最初は頑張って標準語を使っていました。でも、みなさんの表情を見てたら”あ、訛りがでた。田舎の子なんだ。”という目をされることもあって。そう思われるくらいだったら”もう話したくない”と。もともとお喋りが好きなのに、口数が減って、どんどん暗くなって、自分が自分じゃないみたい」と感じていたと言います。
そんな西田あいさんを救ったのが、事務所のスタッフからの「大事なふるさとの言葉なんだし、ありのままでいいじゃない。上京したからって訛りを直す必要なんてないよ」という温かい言葉でした。
この一言に後押しされ、西田あいさんは鹿児島弁を自身の個性、そして武器として捉え直すことができるようになりました。
現在では、YouTubeで「西田あいの鹿児島弁講座」を開設したり、楽曲の歌詞を鹿児島弁に翻訳して歌ったりするなど、鹿児島弁を自身のアイデンティティとして、積極的に発信しています。
「姶良ふるさと大使」「垂水市観光PR大使」としての活動
故郷への深い愛情を持つ西田あいさんは、その魅力を全国に発信するための活動にも力を入れています。
2010年9月には、出身地である姶良市の「姶良ふるさと大使」に任命されました。

姶良市からインタビューを受ける西田あい【出典:姶良市】
姶良市が誕生したのと同じ年にデビューしたという縁もあり、「30周年、50周年となったときに加音ホールでコンサートをして、みなさんに感謝の言葉を伝えられたらいいですね」と、故郷での凱旋コンサートを夢見ています。
さらに、2018年7月には鹿児島県全体の魅力をPRする「薩摩大使」に、2020年からは「垂水市観光PR大使」にも任命されるなど、鹿児島県全体の活性化にも貢献しています。
愛飲する焼酎は屋久島産「三岳」!焼酎アドバイザーの資格も
鹿児島出身者らしく、西田あいさんは大のお酒好き、特に焼酎には並々ならぬこだわりを持っています。
自らを「焼酎の伝道師」と称するほどで、なんと「焼酎アドバイザー」の資格まで取得しています。
特に好んで飲んでいるのは本格芋焼酎で、中でも屋久島産の「三岳(みたけ)」がお気に入りだそうです。
その焼酎愛は、文化放送で7年間もパーソナリティを務めた番組「西田あいのおしゃべり♥あいランド」でも存分に発揮され、焼酎の魅力や楽しみ方を多くのリスナーに伝えていました。
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西田あいのおしゃべり♥あいランドでの西田あい(中央)【出典:文化放送】

故郷の食文化を深く愛し、その魅力を発信する姿からも、西田あいさんの熱い地元愛が伝わってきます。
西田あいの現在は?引退の噂や結婚相手も解説
2022年2月末をもって長年所属した事務所を退所したことで、一部で「引退したのでは?」という噂も流れた西田あいさん。
しかし、それは新たなステージへの始まりでした。
そして、2023年には大きなプライベートの変化も。

ここでは、事務所退所の真相から、現在の活動状況、そして気になる結婚相手について、最新の情報をもとに解説します。
現在はフリーランスで歌手兼アーティストとして活動
まず結論から言うと、西田あいさんは歌手を引退したわけではありません。
事務所は退所しましたが、現在はフリーランスとして、自身のペースで歌手活動を続けています。
各地でのイベント出演などを精力的にこなしており、その歌声をファンに届け続けています。
さらに、近年では歌手活動と並行して、イラストレーターやアーティストとしての才能も開花させています。
「mame(マメ)」という名義で、絵画を中心とした立体キャンバスアート作品などを制作。
2023年5月には、東京・代官山で自身初となる個展「アイのイロ展」を開催し、成功を収めました。
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歌手という枠にとらわれず、様々な形で「表現」を追求する、新たなアーティスト・西田あいとしての活動が始まっています。
結婚相手は歌手の中澤卓也さん!2023年に結婚
そして、西田あいさんのプライベートにおける最も大きなニュースが、2023年7月26日の結婚発表です。
結婚相手は、同じく歌手として活躍する中澤卓也さん。
卓也がリアルどこでもドアみたいって言ってたからうちにある本物のどこでもドアはこんなに大きくないよって教えてあげた優しい。#西田あい#中澤卓也#太田胃散presents#ラジオ日本歌の感謝祭2019#放送を聴きながらこの衣装で頭の中で映像化してちょうだい#放送日時は#どっちかに聞いて😄🖐 pic.twitter.com/eSCeoLecDz
— 日本クラウン 演歌・歌謡曲《公式》 (@NIPPONCROWN) October 23, 2019
二人は連名の直筆メッセージで、「予てよりお付き合いをしておりました」と、交際の事実と結婚をファンに報告しました。
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結婚に至るまでには、中澤卓也さんの過去の女性問題(二股交際・訴訟騒動)など、様々な困難がありましたが、それらを乗り越えてのゴールインとなりました。
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西田あいさんは結婚に際し、「彼とだからこそ感じることの出来る色鮮やかで穏やかな日々に、この上ない喜びと幸せを感じております」「今後は家族として力を合わせていくとともに、一人の人間としても表現者としても、やわらかにしなやかに、愛をもって生きていきたい」と、幸せいっぱいのコメントを発表しています。
引退の噂は「歌だけに留まらない表現」を求めての事務所退所
事務所退所時に「引退説」が流れた背景には、公式ホームページやファンクラブ、YouTubeチャンネルの終了といった動きがありました。
しかし、西田あいさん自身はインスタグラムで、「歌だけに留まらない表現を、私なりのペースで見つけながら歩んでいきたい」と、引退ではなく、活動の幅を広げるための前向きな決断であることを明確に示していました。
ご報告。 pic.twitter.com/8LDc1rVaqr
— 西田あい (@nishidaai) February 17, 2022
結果として、フリーランスとなり、歌手活動を続けながらアーティストとしての才能を開花させるという、言葉通りの道を歩んでいます。
事務所という枠組みから離れ、より自由な立場で自身の表現を追求する。

それが、西田あいさんが選んだ「引退ではない」新たなスタートだったのです。
西田あいのプロフィール|実家での経験が歌手への道に?
鹿児島県姶良市蒲生町の実家「蒲生薬局」で育ち、豊かな自然と温かい地域の人々に囲まれて多感な時期を過ごした西田あいさん。

西田あいは芸名で本名は田中愛さんといいます!
その経験は、歌手・西田あいとしての人間性や音楽性に大きな影響を与えています。
ここでは、西田あいさんの学歴や、歌手になるという夢を決定づけた留学中のエピソード、そして恩師・平尾昌晃さんとの出会いまで、そのキャリアの原点を探ります。
出身小学校・中学校・高校は?学歴まとめ
西田あいさんの出身小学校は、地元である蒲生町立蒲生小学校(現・姶良市立蒲生小学校)です。

姶良市立蒲生小学校【出典:wiki】
中学校については、鹿児島純心女子中学校に通っていたという情報があります。
中学3年生の15歳から約2年間、ニュージーランドへ語学留学を経験。
帰国後、鹿児島城西高等学校の芸術文化コースに3年生として編入し、卒業しました。

鹿児島城西高等学校【出典:wiki】
高校卒業後は、鹿児島レディスカレッジ(現・鹿児島レディスカレッジ専門学校)のキャリア養成学科で学んでいます。
幼少期からの英会話経験に加え、ニュージーランド留学で培われた語学力は、西田あいさんの大きな武器の一つです(実用英語技能検定2級を取得)。
留学経験と歌手を目指したきっかけ|恩師の言葉
当初は、語学力を活かして客室乗務員になることを目指していた西田あいさん。
しかし、ニュージーランド留学中に大きな転機が訪れます。
言葉の壁にぶつかり、なかなか自己表現ができずに悩んでいた西田あいさんに対し、現地の学校の先生が「あい、あなたは歌が好きなんだから、今度の朝礼でみんなの前で歌ってみたらどう?」と提案してくれたのです。
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不安ながらも、宇多田ヒカルさんや中島美嘉さんの日本語の歌を全校生徒の前で披露したところ、スタンディングオベーションを受けるという感動的な経験をします。
「言葉が通じなくても声に乗せた気持ちや想いは伝わるんだ」と実感したこの瞬間、西田あいさんの中で「歌手になりたい」という夢が明確になりました。
卒業を待たずに帰国し、本格的に歌の道へ進むことを決意させた、まさに人生を変えた恩師の言葉でした。
平尾昌晃との出会いとデビュー秘話|芸名の由来
帰国後、歌手になるという夢を叶えるため、西田あいさんは平尾昌晃ミュージックスクール鹿児島校の門を叩きます。
当初は自身の音楽志向からポップスを中心にレッスンを受けていましたが、声質や雰囲気が歌謡曲向きであると、校長の平尾昌晃さんらに見出されます。

平尾昌晃 【出典:jiji .com】
そして、専門学校在学中の2008年、ミュージックスクールのオーディションでレコード会社のディレクターの目に留まり、スカウトされ、2009年春に上京。
約1年間の厳しいトレーニングを経て、2010年7月7日、平尾昌晃さんのプロデュースによるシングル「ゆれて遠花火」で念願の歌手デビューを果たしました。

ゆれて遠花火【出典:amazon】
なお「西田あい」という芸名は、スクールの所在地やビル名が「西田」であったこと、そして平尾昌晃さんが敬愛する歌手・西田佐知子さんへのリスペクトを込めて、平尾昌晃さん自身が命名したものです。



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