小高直子の病気は治った?旦那や娘はどんな人?若い頃やプロフィールも調査!

小高直子の病気は治った?旦那や娘はどんな人?若い頃やプロフィールも調査! アナウンサー

小高直子アナが患った病気の正体は「緑内障」で治ったの?

緑内障とはどんな病気?主な症状をわかりやすく解説

CBCテレビの人気アナウンサーである小高直子さんですが、2016年頃に一時姿を見せなくなったことで、多くのファンから心配の声が上がりました。

その原因となった病気は「緑内障」であったことがわかっています。

緑内障と聞くと、名前は知っていても具体的にどのような病気か知らない方も多いかもしれません。

緑内障とは、眼圧が高くなることなどが原因で視神経が傷つき、視野、つまり見える範囲が少しずつ狭くなっていく病気です。

初期段階では自覚症状がほとんどないことが多く、静かに進行していくのが特徴です。

病状が進行すると、視界の一部が見えにくくなるなどの症状が現れ始めます。

また、目の神経は脳に直接つながっているため、目の症状だけでなく、頭痛や吐き気といった体調不良を引き起こすこともあると言われています。

小高直子さんの緑内障がどの程度進行していたのか、具体的な病状については公表されていませんが、治療のために長期休養を取られたことから、ある程度症状が進んでいた可能性が考えられます。

病気が発覚したきっかけは別の手術時の精密検査だった

小高直子さんが自身の緑内障に気づいたのは、目の不調が直接の原因ではなかったそうです。

驚くべきことに、病気が発覚したのは2015年に行った心臓のカテーテル手術がきっかけでした。

この手術に際して全身の精密検査を受けたところ、偶然にも緑内障が見つかったのです。

さらに、この検査では緑内障だけでなく、他にも複数の病気が発見されたとのことです。

どのような病気が見つかったのか、正式な発表はないため詳細は不明ですが、一つの検査で複数の病気が見つかったことは、小高直子さん本人にとっても大きな衝撃だったことでしょう。

目に見える症状がなくても、体の中では知らず知らずのうちに変化が起きていたということになります。

この精密検査がなければ、緑内障の発見はさらに遅れていた可能性もあり、まさに不幸中の幸いだったと言えるかもしれません。

緑内障は完治した?手術後の経過と現在の状況

緑内障という病気について、多くの方が気になるのは「完治するのか」という点でしょう。

残念ながら、現在の医療では一度傷ついてしまった視神経を元に戻すことはできず、緑内障を完全に治す、つまり完治させる治療法は確立されていません。

小高直子さんが受けた治療も、病気を完治させるためではなく、眼圧を下げてこれ以上病状が進行するのを遅らせるためのものだったと考えられます。

手術などによって眼圧をコントロールすることで、緑内障の進行を食い止めたり、緩やかにしたりすることは可能です。

しかし、手術によって失われた視野が元に戻るわけではありません。

このことを踏まえると、小高直子さんは現在も何らかの症状と付き合いながら生活している可能性が高いと言えます。

命に直接関わる病気ではないとはいえ、大切な視界が元通りにならないという現実は、ご本人にとって非常につらいものであったと想像されます。

2025年には転倒で剥離骨折も経験

緑内障という大きな病気を経験された小高直子さんですが、2025年の新年早々にも新たな試練に見舞われました。

なんと、駐車場の車止めに足を引っかけて転倒し、右足と左足の両方を捻挫、さらに剥離骨折するという大怪我を負ってしまったのです。

この怪我により、一時期は松葉杖が手放せない生活を送っていたそうです。

番組の公式SNSでは、痛々しいギプス姿で出社する小高直子さんの様子も投稿されており、ファンからは多くの心配と励ましのメッセージが寄せられました。

薄暗い駐車場での不意の事故だったとのことですが、緑内障による視野の問題が少なからず影響した可能性も考えられます。

立て続けに訪れる困難にも負けず、マイクの前に立ち続ける小高直子さんのプロフェッショナルな姿勢には、本当に頭が下がる思いです。

病気治療による休養と復帰|いつ頃の話?

2016年に「メンテナンス」として約3ヶ月間ラジオ番組を休演

小高直子さんが緑内障の治療のために長期休養に入ったのは、2016年1月から4月にかけてのことでした。

約3ヶ月間にわたり、長年担当している看板ラジオ番組『つボイノリオの聞けば聞くほど』の出演をお休みしました。

しかし、休養に入る際、小高直子さんは病名をはっきりと公表するのではなく、自身の言葉で「メンテナンス」と表現しました。

この表現からは、深刻な状況を明るく伝えようとする小高直子さんの人柄や、必ず元気になって戻ってくるという強い意志が感じられます。

病気と真正面から向き合いながらも、リスナーに過度な心配をかけまいとするその姿勢は、多くのファンに勇気を与えました。

長年、CBCラジオの朝の顔として活躍してきたトップアナウンサーとしての責任感とプライドも、この「メンテナンス」という言葉に込められていたのかもしれません。

「小高親方、巡業?」SNSで心配するファンの声

小高直子さんが番組から姿を消したことで、SNS上では「小高アナを見かけないけどどうしたんだろう?」「体調でも悪いのでは?」といった心配の声が多数上がりました。

特に、小高直子さんがリスナーから「親方」という愛称で親しまれていることから、その休養は「巡業」と例えられました。

SNSでは「小高親方、巡業長引いてるな」「早く土俵入り(復帰)してほしい」といった、相撲にかけたユニークな表現で小高直子さんの復帰を心待ちにする投稿が溢れ、小高直子さんがいかにリスナーから愛されているかが伝わってきます。

こうしたファンからの温かい声は、病気と闘う小高直子さんにとって、何よりの励みになったことでしょう。

番組とリスナーの間に築かれた強い絆を感じさせるエピソードです。

現在の活動状況|病気を乗りこえ元気に完全復活

約3ヶ月間の「メンテナンス」期間を終え、小高直子さんは無事に番組へと復帰しました。

現在も、看板番組である『つボイノリオの聞けば聞くほど』をはじめ、『キユーピーラジオクッキング』などの担当番組に休むことなく出演し、以前と変わらない元気な声を毎日リスナーに届けています。

緑内障が完治しない病気であることを考えると、今も病気と付き合いながらの生活であることは間違いありませんが、そのことを一切感じさせない明るいトークとユーモアのセンスは健在です。

不安な時期を乗り越え、病気を経験したからこそ深まった人間味あふれるトークで、リスナーとの距離をさらに縮めています。

小高直子さんにとって、大好きなラジオの仕事に打ち込むことこそが、一番の元気の源であり、最良の治療になっているのかもしれません。

闘病を支えた旦那は同僚の竹地祐治アナウンサー

旦那・竹地祐治アナのプロフィールと経歴

小高直子さんの闘病生活をそばで支えたのは、旦那であり、同じCBCテレビに所属するアナウンサーの竹地祐治さんです。

竹地祐治さんは1966年9月26日生まれ、岐阜県美濃加茂市の出身です。

早稲田大学教育学部を卒業後、1989年にアナウンサーとしてCBCに入社しました。

小高直子さんの3年先輩にあたります。

若手時代、東海地方に台風が接近すると必ず港や海岸から過酷な中継リポートを担当していたことから、「台風の竹地」という異名を持つほど、体当たりの取材で知られていました。

その後、2000年からはアナウンス職を離れ、報道局や経営企画部などを経験しましたが、2024年4月に約25年ぶりにアナウンサー職に復帰し、大きな話題となりました。

復帰後のラジオ番組では、妻である小高直子さんの愛称「親方」にちなんで、「ちゃんこ」という新たなあだ名が付けられ、夫婦揃ってリスナーに親しまれています。

二人の馴れ初めと結婚生活

小高直子さんと竹地祐治さんの出会いは、もちろん職場であるCBCでした。

小高直子さんが1992年に入社して間もなくの頃から交際が始まり、当時の先輩アナウンサーであった大園康志さんが二人の仲を取り持ったそうです。

そして、1996年11月に結婚。職場結婚ということになります。

小高直子の結婚式

小高直子の結婚式 【出典:CBCWEB

その後、1998年に長女を、2002年に長男を授かり、一女一男の母となりました。

小高直子さんは、出産に際してそれぞれ半年間の育児休暇を取得しており、これはCBCでは初の事例だったと言います。

仕事と家庭を両立させる女性アナウンサーの先駆け的な存在でもありました。

公私ともにパートナーである竹地祐治さんの存在は、小高直子さんが病気という困難に立ち向かう上で、計り知れないほど大きな支えとなったことでしょう。

夫の大叔父は「命のビザ」で知られる杉原千畝

竹地祐治さんの家系には、日本が世界に誇る偉大な外交官がいます。

それは、第二次世界大戦中、リトアニアで多くのユダヤ人難民にビザを発給し、その命を救ったことで知られる杉原千畝さんです。

杉原千畝

杉原千畝 【出典:wiki

竹地祐治さんの祖母が杉原千畝さんの妹にあたるため、杉原千畝さんは竹地祐治さんの大叔父ということになります。

この事実は広く知られており、小高直子さんが竹地祐治さんとの結婚についてラジオパーソナリティのつボイノリオさんに相談した際、「竹地家の血筋を汚してはならない」と、半ば冗談で反対されたという面白いエピソードも残っています。

もちろん、最終的にはつボイノリオさんをはじめ、多くの局関係者から祝福されての結婚となりました。

歴史的な人物の血を引く家庭に嫁いだことも、小高直子さんの人生における一つの大きな出来事と言えるでしょう。

小高直子アナの基本的なプロフィールと経歴

年齢、出身地、学歴は?

ここで改めて、小高直子さんの基本的なプロフィールをご紹介します。

小高直子さんは1969年8月16日生まれで、現在の年齢は50代半ばです。

出身は奈良県奈良市ですが、10歳の時に兵庫県尼崎市に転居し、多感な時期を過ごしました。

学歴は、兵庫県立尼崎高等学校を卒業後、関西学院大学に進学しています。

兵庫県立尼崎高等学校

兵庫県立尼崎高等学校 【出典:wiki

血液型はB型で、身長は155cm。

家族は夫である竹地祐治さんと、長女、長男の4人家族です。

また、2歳年下の弟さんもいらっしゃいます。

明るく親しみやすいキャラクターで、長年にわたり東海地方のリスナーや視聴者から絶大な支持を集めています。

CBC入社から現在までのアナウンサーとしての歩み

関西学院大学を卒業後、小高直子さんは1992年に中部日本放送(現在のCBCテレビ)に入社しました。

同期には、現在フリーアナウンサーとして活躍する原元美紀さんや角田美保さんがいます。

入社当初はテレビの『CBCニュースワイド』などでリポーターとして出演していましたが、キャリアの転機となったのは入社2年目の1993年です。

この年から始まった平日朝のラジオワイド番組『つボイノリオの聞けば聞くほど』のアシスタントに抜擢されました。

この番組が20年以上にわたる長寿番組となったことで、小高直子さんはテレビに出演する機会は少なくなりましたが、CBCラジオの「朝の顔」としての地位を不動のものにしました。

2013年には、『ゴゴスマ -GO GO!Smile!-』内のニュースコーナーで約20年ぶりにテレビにレギュラー復帰し、話題を呼びました。

なぜ「親方」と呼ばれる?リスナーに愛される理由

小高直子さんを語る上で欠かせないのが、「親方」というユニークな愛称です。

なぜアナウンサーである小高直子さんが、相撲部屋の師匠を意味する「親方」と呼ばれているのでしょうか。

そのきっかけは、小高直子さん自身がラジオ番組の中で、産後のダイエットに大変苦労したというエピソードを赤裸々に語ったことでした。

通常、女性アナウンサーが体型の話題をオープンにすることは少ないですが、小高直子さんはそれを包み隠さず、ユーモアを交えて話したのです。

この飾らない人柄がリスナーに大ウケし、それ以来、敬愛の念を込めて「小高親方」と呼ばれるようになりました。

この愛称はすっかり定着し、小高直子さんの休養は「巡業」、復帰は「土俵入り」と表現されるなど、番組の名物となっています。

このようなエピソードからも、小高直子さんがいかにリスナーとの間に親密な関係を築いているかがよくわかります。

若い頃は準ミス尼崎!かわいいと評判の当時と現在

学生時代の準ミス尼崎選出エピソード

今でこそ「親方」の愛称で親しまれる小高直子さんですが、その若い頃の経歴は非常に華やかです。

22歳の小高直子

22歳の小高直子 【出典:CBCWEB

なんと、関西学院大学在学中に「準ミス尼崎」に選出された経験を持っています。

準ミスに選ばれるほどの美貌の持ち主だったのです。

その美貌を活かし、学生時代には農業用機械メーカーであるクボタのキャンペーンガールとして活動していた時期もあったそうです。

現在の親しみやすいキャラクターからは少し意外に感じられるかもしれませんが、若い頃からその美しさと魅力で多くの人々を惹きつけていたことがうかがえます。

30歳代後半の小高直子

30歳代後半の小高直子

アナウンサーという仕事を選ぶ上で、この時の経験が何らかの形で活かされているのかもしれません。

昔のかわいい画像は?若い頃の姿まとめ

「準ミス尼崎」に選ばれたほどの美貌ということで、若い頃の小高直子さんの写真を見てみたいと思うファンは多いでしょう。

しかし、残念ながら学生時代の「準ミス尼崎」当時の写真は、現在ではなかなか見つけることが難しいようです。

ただ、過去の番組ブログやYoutubeなどに掲載されている写真を見ると、その美しさの片鱗をうかがい知ることができます。

例えば、アナウンサー採用試験時の20歳代前半の小高直子さんは、動画をみると、かなりの美人だということがわかります。

また2009年、小高直子さんが40歳の頃の写真を見ると、今よりも少しふっくらとしていますが、目鼻立ちのはっきりとした美人であることがよくわかります。

40歳頃の小高直子(右)

40歳頃の小高直子(右) 【出典:mariにございます

眼鏡をかけていない姿はまた違った印象で、知的な雰囲気が際立ちます。

若い頃から美人さんだったことは間違いなく、その面影は現在の小高直子さんにも色濃く残っています。

二児の母でも変わらない現在の魅力とは

50代を迎え、二児の母となった現在も、小高直子さんの魅力は全く衰えていません。

むしろ、年齢を重ねたことで、若い頃とはまた違った深みのある美しさを放っています。

産後ダイエットには苦労したと語っていますが、現在もスタイルは良く、ファッションも素敵です。

そして何より、小高直子さんの最大の魅力は、その内面から溢れ出る明るさとユーモアのセンスです。

SNSに投稿される写真では、お茶目なポーズを取ることも多く、そのサービス精神旺盛な姿に元気をもらっているファンも少なくありません。

また、娘さんとの面白い日常エピソードがラジオで語られることも多く、リスナーを楽しませています。

例えば、小高直子さんがカレンダーにパートの休みの日を示すために「ホリデー(Holiday)」の頭文字「H」と書いていたところ、それを見た娘さんが「H=ホリデー」で両親が遊びに行く日だと勘違いし、近所の人に「その日はお父さんとお母さんのホリデーの日なのでダメです」と言ってしまい、場が凍りついたというエピソードは、小高家の温かい雰囲気が伝わる名物トークとなっています。

【まとめ】病気を乗り越え、今もラジオで愛され続ける小高直子アナ

緑内障の経過は良好、元気に活躍中

この記事では、CBCアナウンサー小高直子さんの病気について、詳しく解説してきました。

小高直子さんが患った緑内障は完治する病気ではありませんが、手術と治療によって病状の進行はコントロールされており、現在もアナウンサーとして第一線で元気に活躍されています。

2025年には転倒による剥離骨折というアクシデントもありましたが、それも乗り越え、持ち前のポジティブさで日々の放送に臨んでいます。

その姿は、同じように病気や怪我と闘う多くの人々にとって、大きな希望となっているはずです。

家族やリスナーの支えが力に

小高直子さんが緑内障という困難を乗り越えることができた背景には、間違いなく家族の存在がありました。

特に、公私にわたるパートナーである夫・竹地祐治さんの献身的なサポートは、何よりの力になったことでしょう。

そして、小高直子さんの休養を「巡業」と呼び、温かい言葉で復帰を待ち続けた大勢のリスナーたちの存在も忘れてはなりません。

家族とファンの変わらぬ愛情が、小高直子さんを支える大きな原動力となっているのです。

今後の活躍にも期待

病気という大きな経験を経て、アナウンサーとして、一人の人間として、さらに深みを増した小高直子さん。

これからもきっと、東海地方の朝には小高直子さんの明るい声が響き渡ることでしょう。

親しみやすい「親方」として、時には人生の先輩として、私たちリスナーに元気と笑いを届け続けてくれるはずです。

病気と向き合いながらも前向きに人生を歩む小高直子さんの、今後のさらなる活躍に心から期待したいと思います。

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