NHKの長寿番組『きょうの料理』の司会として、また『ラジオ深夜便』のアンカーとして、多くの視聴者に親しまれている後藤繁榮さん。
その温厚な人柄と、時折飛び出すユーモアたっぷりのダジャレは、番組の雰囲気を和ませる魔法のような力を持っています。
本記事では、後藤繁榮さんが結婚しているか、妻や家族、息子などについて、さらに年齢・学歴・若い頃などプロフィールもご紹介します。
後藤繁榮アナは結婚している?妻との馴れ初めや「テレビ塔弁当」の真相
入局2年目の早婚!学生時代に知り合った妻との結婚時期
後藤繁榮さんは、NHKに入局して間もない24歳か25歳の頃、現在のご夫人と結婚されています。
アナウンサーという職業は転勤も多く、生活が安定するまで結婚を待つ方も少なくありませんが、後藤繁榮さんの場合は非常に早い決断でした。
この投稿をInstagramで見る
お二人の出会いは学生時代にまで遡ります。
大学で学んでいた頃、将来の夢を語り合った大切なパートナーと、社会人になってすぐに家庭を築く道を選んだのです。

この早婚という選択が、後に各地を転々とすることになる後藤繁榮さんのアナウンサー人生を、精神的に強く支えることとなりました。
初任地・鳥取での感動秘話「妻が作ってくれたテレビ塔弁当」とは?
後藤繁榮さんの結婚生活を語る上で欠かせないのが、初任地の鳥取放送局時代のエピソードです。

NHK鳥取放送局【出典:wiki】
まだ20代で、仕事に慣れるのに必死だった後藤繁榮さんは、泊まり勤務も多くこなしていました。
そんなある日の深夜、奥様が持たせてくれたお弁当の蓋を開けると、そこにはご飯の上に海苔で描かれた一本の細い塔がありました。
後藤繁榮さんがこれが何かを尋ねると、奥様は「NHKのテレビ塔よ」と答えたそうです。
現在のようにキャラクターをお弁当で表現する文化が一般的ではなかった時代に、後藤繁榮さんの仕事を応援したいという奥様の遊び心と愛情が詰まったこの「テレビ塔弁当」は、後藤繁榮さんの心に深く刻まれました。
後藤繁榮さんは今でも、このお弁当のことを思い出すと、当時の気持ちが込み上げてくると語っています。
妻は一般人?メディアに出ない家族の素顔と夫婦仲
後藤繁榮さんの奥様は一般の方であり、これまでメディアに顔を出したり、詳細なプロフィールが公表されたりしたことはありません。
後藤繁榮さん自身、番組内ではダジャレを連発して場を盛り上げますが、ご自身の家庭内の悩みやプライベートな詳細を過度に語ることは控えています。
しかし、エッセーやインタビュー、週刊誌の中で時折触れられる奥様とのエピソードからは、互いを尊重し合う理想的な夫婦仲が伺えます。
例えば、後藤繁榮さんが『きょうの料理』の担当に決まった際、自分専用の包丁を購入して家で料理を練習しようとしたことがありました。

『きょうの料理』に出演する後藤繁榮【出典:TVガイドweb】
しかし、その際に奥様から色々とアドバイスという名の口出しをされたことで、かえって練習をやめてしまったというユーモラスな失敗談もあります。
こうした日常の些細なやり取りからも、後藤繁榮さんの家庭が笑いの絶えない温かな場所であることが伝わってきます。
後藤繁榮アナの家族は9人きょうだい?実家は岐阜の養鶏場
9人きょうだいの末っ子!21歳離れた長兄との大家族エピソード
後藤繁榮さんの温和で包容力のある性格のルーツは、その驚くべき家族構成にあります。
後藤繁榮さんはなんと、9人きょうだいの末っ子として生まれました。
一番上の長男とは21歳も年齢が離れており、後藤繁榮さんが生まれた時にはすでに大人になっていたお兄さんもいたことになります。
大家族の中で、多くの大人や年の離れた兄弟に見守られながら育った経験が、誰に対しても物怖じせず、同時に相手を立てるという後藤繁榮さんの独特の間合いを作り上げました。

しかし、近年では大切なお兄さんたちを次々と見送るという寂しい別れも経験されており、命の重みや家族の絆について改めて深く考える機会が増えていると語っています。
昭和天皇も視察した実家「後藤孵卵場」と伝説の鶏「ゴトウ106」
後藤繁榮さんのご実家は、岐阜県にある「後藤孵卵場」という、歴史と権威のある養鶏関係の仕事を営んでいます。

後藤孵卵場の味付たまご【出典:後藤孵卵場】
こちらの実家は、単に卵を販売するだけでなく、純国産のニワトリの品種改良を行い、より優れたヒヨコを養鶏家に供給するという、日本の畜産業の根幹を支える役割を果たしてきました。
後藤繁榮さんが中学生の頃には、その功績が認められ、昭和天皇が視察に訪れたこともあるという名門です。

後藤孵卵場【出典:後藤孵卵場】
後藤繁榮さんの父親は明治生まれで、若い頃に大病を患った際、卵を食べ続けることで健康を取り戻したという経験から、卵への深い恩返しを一生の仕事として選んだそうです。
漫画「美味しんぼ」で紹介された究極の卵を生むニワトリの秘密
この後藤繁榮さんの実家で開発された「ゴトウ106」というニワトリは、食の探求を描いた大人気漫画『美味しんぼ』でも紹介されたことがあります。
作中では、日本が誇る究極の卵を生むニワトリとして取り上げられ、その美味しさと安全性が絶賛されました。
後藤繁榮さんは現在でも、実家の卵を加工した特別なプリンなどを、番組の共演者や大切な方への手土産として利用しています。

後藤孵卵場のプリン【出典:クロワッサン】
土井善晴さんなどの料理研究家からも「不思議で美味しい」と称賛されるこのプリンは、殻を割らずに中身を攪拌して加熱するという特殊な製法で作られており、後藤繁榮さんの実家が持つ技術力の高さを物語っています。
後藤繁榮アナに息子はいる?子供や孫に関する最新情報
お子さんはいる?「息子がいる」という噂の真実
後藤繁榮さんには、お子さんがいらっしゃることが分かっています。
なお「息子さんがいるのではないか」という噂がありますが、後藤繁榮さんはお子さんの性別や年齢、職業などの詳細を公表していません。
これは、お子さんのプライバシーを守るという親としての強い責任感の表れでしょう。
後藤繁榮さんが多忙なアナウンサーとして全国を飛び回っていた時期も、奥様と共にしっかりとお子さんを育て上げられたことは、後藤繁榮さんの安定した仕事ぶりからも推察できます。
2023年時点では孫はいない?エッセーで語られた「一日じいじ」の奮闘
多くの方が気になる「お孫さん」の存在ですが、2023年に発表された後藤繁榮さんのエッセーによると、当時はまだご自身のお孫さんはいらっしゃらなかったようです。
同級生たちが集まると必ず孫の自慢話になる中で、後藤繁榮さんは羨ましさを感じつつも、どこか客観的にその様子を眺めていたと言います。
この投稿をInstagramで見る
しかし、そんな後藤繁榮さんにも「じいじ」としての体験をする機会が訪れました。
それは、海外で暮らす親戚のお子さんたちが日本に遊びに来た時のことでした。
フランスから里帰りした姪のお子さんたち、5歳のレオ君と2歳のルイ君の遊び相手を頼まれた後藤繁榮さんは、張り切って「一日じいじ」を引き受けました。
この体験を通じて、後藤繁榮さんは「孫は来て嬉しい、帰って嬉しい」という世間一般の言葉の意味を身をもって理解したそうです。
後藤繁榮アナの年齢・学歴・若い頃の経歴プロフィール
1951年生まれの現在74歳!岐阜県出身のベテランアナウンサー
後藤繁榮さんは1951年7月3日生まれで、2026年3月現在は74歳です。
岐阜県岐阜市で生まれ育った後藤繁榮さんは、南山高校男子部を卒業後、東京の日本大学芸術学部に進学しました。

南山中学校・高等学校男子部【出典:wiki】
70代半ばとなった現在でも、その声に衰えはなく、むしろ年齢を重ねるごとに増していく円熟味のある語り口が、多くの視聴者の心を癒しています。
後藤繁榮さんはご自身の年齢について「いつの間にかおじいちゃんと呼ばれる歳になった」と笑いながらも、生涯現役でいたいという強い意欲を持ち続けています。
日本大学芸術学部の学生時代|エフエム東京でのレポーター経験
日本大学芸術学部時代の後藤繁榮さんは、放送の専門知識を学ぶ一方で、実践的な経験も積んでいました。

日本大学芸術学部【出典:wiki】
エフエム東京の番組で、早朝の街角からリポートを届けるレポーターのアルバイトを経験していたのです。
この時の、生の現場からリアルな声を届けるという経験が、後にNHKのアナウンサーとして活躍するための貴重な財産となりました。
若き日の後藤繁榮さんは、マイク一本で人々の心に飛び込んでいく楽しさをこの時に知ったのです。
NHK入局後の歩み|鳥取・富山・札幌を経て「きょうの料理」の顔へ
1975年にNHKに入局した後藤繁榮さんは、鳥取を皮切りに、富山、札幌と、日本各地の放送局を回りました。
各局でニュースやバラエティ、地域密着型の番組を担当し、その場所その場所で地元の人々と交流を深めてきました。
その後、東京のアナウンス室に異動となり、2000年4月から現在に至るまで『きょうの料理』の司会を担当することになります。
一時期は労働組合の専従として番組を離れていた期間もありましたが、復帰後はその親しみやすいキャラクターで番組の顔として定着しました。
南京玉すだれが特技?同窓生・竹下景子さんとの意外な共演
後藤繁榮さんの意外な特技として知られているのが「南京玉すだれ」です。
富山放送局時代に町おこしのイベントで習得し、宴会やイベントで披露しては人々を喜ばせてきました。

富山放送局時代の後藤繁榮【出典:ステラnet】
この南京玉すだれが縁で、思わぬ再会も果たしています。
後藤繁榮さんは俳優の竹下景子さんと中学・高校の同窓生(竹下景子さんは南山高校女子部)なのですが、数十年後に『ラジオ深夜便』で共演した際、共通の友人が撮影していた若き日の後藤繁榮さんの南京玉すだれの写真を通じて、竹下景子さんと当時の思い出話に花を咲かせました。
この投稿をInstagramで見る
竹下景子さんは当時からマドンナ的存在で、後藤繁榮さんは「長生きすれば良いことがあるものだ」と、この共演を心から喜んでいたそうです。
後藤繁榮アナの現在|フリー転身後の活躍と「老い」の哲学
2016年にフリーへ|『きょうの料理』と『ラジオ深夜便』を支える情熱
2011年にNHKを定年退職した後藤繁榮さんは、その後は日本語センターでの勤務を経て、2016年に完全にフリーのアナウンサーとして独立されました。
フリーとなってからも、NHKからの信頼は厚く、『きょうの料理』の司会を継続して担当しています。
さらに、『ラジオ深夜便』では土曜日のアンカーとして、深夜から早朝にかけての長時間生放送を、持ち前の持久力と明るさで務め上げています。

『ラジオ深夜便』に出演する後藤繁榮【出典:浜内千波楽しいキッチン】
フリーという立場になったことで、より自身の言葉で語る機会が増え、後藤繁榮さんのファン層はさらに広がっています。
ダジャレの原点!鈴木登紀子さんとの出会いと「故障した胡椒」事件
後藤繁榮さんの代名詞とも言えるダジャレには、明確な原点があります。
それは、料理研究家の鈴木登紀子さんと初めて共演した際のことでした。

後藤繁榮と鈴木登紀子【出典:好書好日】
料理が全くできなかった後藤繁榮さんが、鈴木登紀子さんの横で手持ち無沙汰にしていると、「何か手伝ってちょうだい」と声をかけられました。
そこで胡椒を振ろうとしたのですが、蓋をしたままだったために一粒も出ませんでした。
とっさに「胡椒が故障していると思いました」と呟いたところ、スタッフは大爆笑し、鈴木登紀子さんも「後藤さん、それでいいのよ」と認めてくれたのです。
これがきっかけで、料理を美味しく作る秘訣の傍らで、空気を美味しくするダジャレを言い続けるスタイルが確立されました。
猫背も笑いに!エッセーで語るポジティブな生き方
70代となった後藤繁榮さんは、ご自身の身体的な衰えもユーモアの種にしています。
最近のエッセーの中では、テレビに映った自分の後ろ姿を見て、後頭部の地肌が透けて見えていることや、猫背でおじいちゃんのように歩いている姿に愕然とした体験を綴っています。
しかし、後藤繁榮さんはそれを隠そうとするのではなく、「これが今の自分なのだ」と笑いに変える道を選びました。
若づくりをして無理をするよりも、老いを受け入れながら、その中にある面白さを見つけ出す。
そんな後藤繁榮さんの姿勢は、同じ世代の視聴者に大きな勇気と共感を与えているかもしれません。
まとめ|後藤繁榮は結婚しており妻とは深い信頼関係!家族は9人きょうだい!
後藤繁榮さんの人生を振り返ると、常にそこには温かな家族の支えと、人々を笑顔にしたいという一貫した気持ちがありました。
この投稿をInstagramで見る
学生時代に出会った妻と二人三脚で歩んできたアナウンサー人生は、鳥取の「テレビ塔弁当」に象徴されるように、深い信頼関係に基づいています。
9人きょうだいの末っ子として生まれ、岐阜の養鶏場という誇りある実家で育った経験が、現在の後藤繁榮さんの豊かな人間性を作り上げました。
『きょうの料理』で見せる軽妙な司会ぶりも、『ラジオ深夜便』で届ける静かな語り口も、すべては後藤繁榮さんの誠実な生き方から滲み出るものです。
鈴木登紀子さんから授かったダジャレという武器を手に、老いさえも楽しみに変えてしまうその姿は、まさに人生の達人と言えるでしょう。
は誰?テレビ局の退職理由や年齢・身長・学歴なども調査!-1-120x68.png)
コメント